Toyの日記

描いている落書きや覚え書きを書き留めています

ブルーライトニング 第29章

「では、失礼します」

 ロボットが礼儀正しく一礼して、訓練ルームを出ていった。玲子はロボット相手に、軍隊式の格闘術を練習していた。セキュリティエリアでソレイユと会うようになってから、話すだけではなく体を動かそうと、ソレイユが始めたのがこの格闘術だ。瑞穂とテニスをするようになったのは、ずっと後のこと。最初はソレイユと二人きりの練習だったが、やがて「実戦的な訓練を」とソレイユが言い、ファントムのメタロイドが参加するようになった。
「今日のロボット、初めて見るタイプだわ」
 玲子が問うと、ソレイユは即答する。
「ライトニング・ファントムの新鋭機、J-7よ」
「なるほど、ライトニングか」

 これまで練習相手を務めていたのは、ブルー・ファントムかレッド・ファントムのロボットだった。玲子は掌で風を送るように顔をあおぎながら、
「今日はブルーもレッドも手が空いてなかったの?」
「まさか。そんなギリギリ運用はしないわ。ただ、ライトニング側が『自分たちにも玲子の相手をさせろ』って言ってきただけ。先日、玲子をマスター認証したでしょ? その影響よ」
「はあ、ロボットって律儀ね。そんなに頑張らなくてもいいのに」
「それが彼らのやりがいで、幸せなの。だから付き合ってあげて。こうでもしないと、彼らは玲子に直接尽くせないから」
「私って、そんなに尽くす価値があるの?」
「あるから、争ってまで玲子のために働きたがるのよ」

 ふと、玲子は首をかしげた。
「ちょっと待って。ライトニングは私をマスター認証したとして、ブルーとレッドはどうして? ソレイユが頼んだから来てるだけじゃないの?」
「言ってなかったね。ブルーもレッドも、もう玲子をマスター認証してる。マスターに尽くすのはロボットの幸福だから、わかってあげて」
「でも、『マスターになってください』なんて言われてないわ」
「そんなの、勝手に認証してるのよ。マルスだって、玲子に正式なお願い、してないでしょ?」
「そういえば。じゃあ、ゼムはどうして?」
「ゼムは生真面目なの。ただそれだけ」
 玲子ははっとして顔を上げる。
「じゃあ何! 西郷中将が言っていた“ファントムのロボットたちのマスター”って、私のこと?」
「そう、玲子よ。ほかには、ノーマの件があるからサムをマスターと思ってるくらい。でも筆頭は玲子よ」

 くらりと眩暈がする。
「なぜ、私なんかを」
「決めるのは彼らの意思。玲子を素晴らしい人だと思うから認証したの。あんなことがあっても、玲子は私の友達でいてくれた。私もうれしかったし、みんなも玲子を認めたのよ」
 玲子は顔を伏せ、首を振った。
「ソレイユの友達でいるなんて、たいしたことじゃない。当たり前のことよ」
「当たり前じゃない人も多いわ」
 ソレイユは玲子の手をそっと握る。
「私たちはまず、玲子のために働く。そのうえで、大勢の人たちのために。私は瑞穂のことも守りたいと思ってる。私が瑞穂と直接会ってるからね。でもファントムの他のロボットたちは、軍のスタッフ以外を知らない。だから玲子が唯一の存在になるの」

 その事実の重さが、玲子の肩にのしかかる。
「深く考えすぎないで。誰をマスターにするかはロボットの自由だし、マスターだからって何か義務が生じるわけじゃない。マスターがいるかいないかで、彼らのやりがい、能力値ですら、変わるの。『ポテンシャル理論』っていうんだけど」
「それ、聞いたことある」
「繰り返すけど、玲子に何かを求めることはない。重荷に思わないで。みんなの“アイドル”でいてくれればいいの」
 玲子は息を吐き、気持ちを定めた。

「わかったわ。ゼムが言ってたの。『マルスを大切にしてくれ』って。だから私はマルスを大切にする。それが私にできることね」
「私と友達でいてくれることも、ね。玲子はいつもどおりでいいのよ」

 そのとき、
「お姉ちゃん」
 かわいらしい声に振り返ると、入り口のドアからマルスが顔をのぞかせていた。
マルス、訓練は終わったの?」
「うん。もう帰っていいって」
「じゃあ、一緒に帰ろう。帰りにパジャマを買わないとね」
 ソレイユが小さく手を振る。
「じゃあ、また今度」
「ええ。今日はありがとう、いろいろ教えてくれて」
「うん」

 玲子とマルスは手をつなぎ、ソレイユに手を振った。
「さようなら」
「さようなら」

 二人の背が見えなくなると、ソレイユはぽつりとつぶやいた。
「玲子、マルスといると楽しそう」

 

「このパジャマ、かわいい。マルスに似合いそう」
 玲子はサイズの合いそうな袋を手に取る。
マルスはどれがいい?」
「どれでもいい」
「そう」

 ロボットに好みを尋ねても、明確な答えは返らない。ここは自分の好みで選ぶ。洗濯のことも考えて二着、かごに入れた。
「あっ、そうだ。エプロンも買おうか」
「エプロン?」
「食事の支度をするときにつけるやつ」
「ひらひらしてるやつ?」
「そう。お手伝いが楽しくなるよ」

(経営監査委員会で何か言われたら、マルスのエプロン姿を見せてやる!)

「じゃあ、買って!」
 今度ははっきり「買って」と言った。この辺りのさじ加減はどうプログラムされているのだろう、と玲子は思う。売り場を回って子ども用エプロンを探し、玲子が「かわいい」と思うものを選んだ。支払いを済ませ、バッグにパジャマとエプロンを押し込み、マルスの手を取った。その時。

「敷島さん」

 声に振り向く。内心(うわ、いやなやつ)と思いつつ、笑顔は崩さない。
「伊藤さんも買い物?」

 同級生の伊藤綾と、その取り巻き二人の三人組だ。
「その男の子、だれ?」
「弟よ。アンドロイドだけど」
「ああ、ポンコツ・アンドロイドね」

 三人はきゃははと笑った。
「食事の支度があるから、私は行くね。さようなら」
 玲子は取り合わず、マルスの手を引いて歩き出す。

「何よ、あの態度!」
 毒づく声が背後から聞こえるが、無視。店の外に出たところで、マルスが小さくたずねる。

「お姉ちゃん、怒ってる?」
「ううん。いやな人から早く離れたいだけ」
「いまの人?」
 遠慮がちな問いに、玲子はきっぱりと言い切った。
マルス、あんな人、相手にしないの。瑞穂は『マルスはかわいい、かわいい』って言ってくれるでしょ? そういう好意を向けてくれる人のことだけ考えればいい。悪意は、無視。これでいいの。私も、あの人は嫌いだから」
「そうなんだね」
「そう。さっ、早く帰って夕食の支度しなきゃ」
 玲子は気持ちを切り替え、マルスの手を握り直して家路についた。