Toyの日記

描いている落書きや覚え書きを書き留めています

ブルーライトニング 第66章

 玲子が目を覚ますと、すぐそばでメアリが顔を寄せて、静かな寝息を立てていた。マルスは玲子が起きた気配を感じたのか、むくりと上体を起こし、玲子の様子をうかがった。

「おはよう、マルス
「おはよう、お姉ちゃん」

「メアリは寝ているね。起こさないようにしましょう」

 玲子はメアリを起こさないよう、そっと体を起こした。玲子とマルスはベッドから降り、静かに着替え始めたのだが──

「あれー、玲子、もう起きたの?」

 寝ぼけ眼のメアリが、布団の中から顔を出した。

「起きてるよ。まだ六時だから、寝ていてもいいよ」
「ううん、起きる」

 メアリはむくりと上体を起こして、ベッドから降りる。

「玲子、朝食まで何をする?」
「そうね、散歩しようか」
「わかった! 着替えてくるから玄関で待ってて!」

 そう言い残すと、メアリは勢いよく部屋を飛び出していった。

     *

 玄関を出て、住宅街を三人で歩く。玲子たちのほかにも、早朝の散歩を楽しむ人たちがいる。さわやかな朝の空気の中に、どこかからパンの焼ける匂いが漂っていた。

「ねえ、玲子。わたし、女の子を頼むことにしたわ」
「そう。自分で決めたのは、いいことよ」

 そう言ったとき、メアリの手が、そっと玲子の手を握ってきた。メアリは、今度はマルスに向き直って声をかける。

マルスは、玲子のどんなところが好きなの?」
「優しいところだよ。いつもエネルギー補給してくれるし、『大好き』って言ってくれる」

 玲子は笑いながら、

「特別なことは、してないよ。メアリにだってできるわ」

と言った。

「ふーん。玲子は特別なことをしてないの?」
「してない。マルスのメンテナンスは、わたしにはできないし、それはダグラス社に任せるしかない。でも、わたしにできること――エネルギーの補給や、マルスをかわいがることだけは、一生懸命やってる」

「わたし、玲子みたいないいお姉さんになれるかな?」
「なれるよ。そんなふうに考えるだけでも、もう半分はできてるの。同じように考えていれば、自然にできるようになるわ」
「じゃあ、わたし、頑張ってみる。でも、玲子、相談には乗ってね」
「わかったわ」

 

 朝食のあと、マイクも交えてテニスをすることになった。メアリはマイクと組んで、マルス一人と対戦する。

 本気を出せば、アンドロイドのマルスにとって二人を簡単に打ちのめすことができる。けれど、マルスは人間のペースに合わせているのか、意外といい勝負になっていた。

 玲子はアリスに乞われて、並んで三人のテニスを眺めていた。

「メアリが、女の子がいいって話してくれたけど、玲子が何かアドバイスしたの?」

 アリスが、コートから視線を外さないまま唐突に聞いてきた。

「アドバイスというほどではないんです。メアリが面倒を見なくちゃいけないから、世話をするなら男の子と女の子のどっちがいいか、って聞いただけで」
「そう。いい問いかけだわ」

 アリスはラケットを振るマイクとメアリ、そして軽やかにボールを追うマルスから視線を離さず、続けた。

「メアリは玲子のことが好きね。境遇が似ているからかしら。わたしも夫も、できることはしてあげたいと思っているのだけど……あの子、どこか遠慮しているところがあるの。マイクも、ずいぶん頑張ってお兄ちゃんになってくれてるんだけどね」
「マイクは、いいお兄ちゃんだと思いますよ。それは、見ていてもわかります」

 アリスはふっと息を吐いた。

「メアリの母親は、ご主人を亡くされて、エスターをリースして子育てと仕事を両立させていたわ。優秀な技術者だった。なのに、ピースメーカーの活動家は彼女の命を奪った! わたしは、それが許せない」

 玲子はその事情を知っていたが、あえて口を挟まず、アリスの言葉を黙って聞いていた。

「実行犯はテロ犯罪の罪で即、死刑になった。でも、未だに“平和団体”と称してピースメーカーは活動を続けている。玲子を襲ったのも、恵ちゃんを襲ったのも、ピースメーカーに違いないわ。でも、今の段階で捕まっているのはトカゲの尻尾だけ。組織そのものの活動を抑えることができない。それが、悔しくてたまらない!」

 アリスの声には、にじむような憎しみがこもっていた。玲子は、なんと答えるべきか迷う。アリスの言葉が途切れ、その小さな「間」を合図にするように、玲子はそっと口を開いた。

「ソレイユはシティを守ってくれています。ファントムも守ってくれています。わたしがプレストシティに来てから、大きなテロは成功していません。これ、おばさんたちが頑張って、ファントムを結成したからですよね」
 アリスが優しく笑む。

「夫がファントムの結成を考え、実行したの。先進技術適用試作体シリーズの開発も、思い切った投資だったわ。構想を聞いたときは、途方もないことを考えるものだと思ったけど……あの人は、本当にやり遂げた。あれほど熱心に事業を進めたのは、ベスが殺されたことに続いて、メアリのこともあったからだと思う」

 テロリストに殺されたアリスの娘「ベス」と、玲子は会ったことがない。だが、サムが軍を志願したこととベスの死は無関係ではないと、玲子は知っている。マイクはメアリのこともあってか、それほどベスのことを口にしないが、サムの口からは、たびたびその名を聞いた。

 ダグラス社が総力を挙げて開発した先進技術適用試作体シリーズ「Jナンバー」。ロビーはその一体で、J-2と呼ばれるモデルである。ソレイユたちスーパーアンドロイドも、その技術の延長線上にある。そして、マルスは最新鋭のJ-9をベースに作られている――と、玲子は聞いていた。

 アリスの話がひと区切りついたところで、玲子は自分の思いを話した。

「わたしは、わたしのできることをするだけです。マルスはテロ対策のためのロボットです。ならば、マルスが最大限活躍できるようにすることが、わたしの務めかなって」

 玲子の真剣な言葉に、アリスはふと笑みを浮かべた。

「そんなに肩肘張らなくてもいいわ。それでなくても、マルスはあなたの元を離れて軍の任務に就くことがある。せめて一緒にいるときは、マルスを弟だと思って大事にしてあげて」

 玲子は、少し首をかしげるようにして答える。

「あー、なんて言ったらいいのかな。わたしも、そのつもりですよ。特別なことをしようと思っているわけじゃありません。マルスにとって、わたしといる時間がとても心地よいって思ってくれるのが、一番いいなって」

「それなら、わたしから言うことはないわ。玲子は本当にしっかりしている。マルスをあなたに預けたことは、本当に間違いじゃなかった」

「あー、負けたー!」

 メアリの大きな声で、アリスと玲子は現実に引き戻された。

 マルスが打ち返したボールを、メアリが受け損ねたらしい。

マルスは、なかなかだな。うん、俺たちじゃ勝てん」

 マイクも苦笑まじりに言う。アリスと話しているあいだ、ずっとボールの打ち合いをしていたのだから、メアリに疲れが出てきたのだろう。少しマルスの手加減が足りなかったようだが、そんな器用さをマルスに要求するのは酷というものだ。

「おばさん、わたしもテニスしてきていい?」
「ああ、行ってらっしゃい。ごめんね、話し込んじゃって。玲子も、楽しんでらっしゃい」
「はい」

 玲子は立ち上がり、ラケットを手に取った。

マルス、今度はわたしとペアを組もう。もう一回、四人でやろうよ」
「おお、いいね。やろう」

 マイクが嬉しそうに答える。

「今度は負けないからね!」

 負けず嫌いのメアリが、元気よく叫んだ。コートの上で笑い合う四人を眺めながら、アリスはぽつりとつぶやく。

「今を楽しみなさい」

 その声は、どこか祈りのようでもあった。