ゼムが会議室の前で足を止めた。
「こちらです。第七戦闘艦隊司令・西郷中将がお待ちです」
「中将!?」
ソレイユが会ってほしいと言っていた相手が、中将という高位の軍人だと知り、玲子は息をのむ。
「では、私はここで失礼します」
ゼムは一礼して立ち去った。玲子は意を決し、ドアホンを押して入室許可を求める。
「入りなさい」
柔らかな声に、玲子はひとまずほっとした。中へ入ると、軍服の男が立ち上がる。どこか頼りなげにも見える風采の男だ。
「第七戦闘艦隊司令の西郷です」
「初めまして。敷島玲子です」
「どうぞ、楽に。ざっくばらんに話したいのでね」
笑顔のはずなのに、その顔を見た瞬間、玲子の背筋にぞわりと悪寒が走った。感情を押し隠し、椅子に腰を下ろす。西郷は正面を避け、机の角を挟んで斜め前に腰掛けた。
「今回はマルスのテストという厄介ごとを頼んでしまって、すまないね。マルスは軍用ではあるが、アンドロイドである以上、家庭での運用にも支障がないか確認せねばならない、という妙な理屈ができてしまってね」
「いえ、厄介だとは思っていません」
「そう言ってもらえると助かる。それで、もう一つ頼みがある。テストが終わってからも、君にマルスを預かってほしい」
うれしい申し出のはずなのに、玲子は即答できなかった。この人は、人の心を覗き込む目をしている。
「いいんですか。マルスは軍のロボットですよね」
「むろん、任務があれば君のそばを離れる。どちらかといえば、君のためというよりマルスのためだ。実は今日の試験で、数日前より能力が向上していることが分かった」
「・・・どういうことですか?」
「理由は簡単だ。君の存在がマルスの性能を引き上げた。『ロボットのポテンシャル理論』というのを聞いたことは?」
「ありません」
「ソレイユの開発者・スミス博士の理論でね。ロボットが人間をマスターに認証すると、その能力が底上げされる現象を言う。つまり、マルスは君をマスターに定めたことで能力を引き上げたのだよ。軍としても好都合だし、君のことは信頼している。もちろん強制はしない」
玲子には、どうしても確かめたいことがあった。
「あの、ひとつ伺ってもいいですか」
「どうぞ。差し支えない限り答えよう」
「なぜ、マルスを九歳くらいの子どもの姿にしたんです? 軍用の性能だけを求めるなら、メタロイドの方が適しているのでは」
西郷は口元をほころばせた。
「現在、最高の機動性を持つメタロイドはJ−9という小柄な機体だ。マルスはそのJ−9を基礎フレームにしている。だから、あの体格になる。そして、なぜアンドロイドにしたか、だが・・・」
一拍置いてから、逆に問いを投げる。
「さっきゼムが君を案内したね。ゼムは何か言っていなかったか?」
まるで事情を知っているような口ぶりだった。
「私をマスターにしたい、と。・・・私、マスターになってしまってよかったのでしょうか」
「いや、むしろ望ましい。ここ数年、ライトニング・ファントムのロボットは人間をマスターとして認証しなくなっていた。命令には従うが、マスター不在は何かと具合が悪い」
聞きたかった話から少し逸れた気がして戸惑いながらも、玲子は黙って耳を傾ける。
「メタロイドは、しばしばアンドロイドを介して人間と接点を持つ。ブルー・ファントムのロボットたちはソレイユを通じて、ある人物をマスターにしている。だからライトニングにもアンドロイドのリーダーを据えれば、人間をマスター認証するだろうと期待した。だが、ライトニングはあまりに高性能で、従来型アンドロイドをリーダーとして認めなかった。そこが問題だった」
「はあ・・・」
「そこで、最も高性能なメタロイドをベースに、アンドロイドのマルスを開発した。狙いどおり、ライトニングのメタロイドはマルスをリーダーに迎え、結果としてマルスのマスター、つまり君をマスター認証した。これで回答になっているかな」
「はい。・・・もう一つだけ」
「いいとも」
「マルス、少し甘えん坊なところがあって、私も甘えられるとつい甘やかしてしまうんです。厳しく接した方がいいでしょうか」
西郷は即答した。
「甘えてくるなら甘えさせてやってほしい。君が可愛いと思うなら、そのとおり可愛がってやればいい。マルスは強大な力と引き換えに、人間に従属的に設計されている。そこはソレイユたちとは違う」
「・・・本当に、私でいいんですね」
「マルスが選んだのは君だ。それに私はサム・ダグラスから君の人となりを聞いている。いま目の前の君を見ても、託せる人物だと確信している。問題はない」
迷いのない口調に、玲子は腹を決めた。
「分かりました。責任を持って預かります。伯父と叔母には私から説明した方がいいですか」
「敷島博士はこちらで説得する。上原博士も君が預かることに反対していない。心配はいらない」
風采の上がらないはずの男が、底知れず怖く思えた。どこまで人の心を見透かすのだろう。
「私からは以上だ。ほかに質問は? そろそろソレイユのところへ戻りたいだろう」
「はい、伺いたいことはもう」
「では、マルスをここへ来させよう。君の友人には軍のロボットであることだけ伏せてくれればいい。“君の弟になった”と言えば済む」
西郷はハンディを取り出し、通信をつなぐ。
「マルスか。お姉ちゃんが来ている。迎えにおいで。今日は一緒に帰るといい」
少しの沈黙。
「ああ、構わない。それと、君のことはお姉ちゃんに頼んでおいた。ずっと一緒に暮らしなさい」
通話を切ると、西郷は立ち上がった。
「マルスのこと、よろしく」
「はい」
西郷と入れ替わるように、マルスが駆け込んできた。玲子にぴたりと抱きつく。
「お姉ちゃん、ずっとそばにいられるんだね?」
「もちろん」
ダグラス・インダストリーのテストフィールドにしつらえたテニスコート。
瑞穂はソレイユと激しい打ち合いをしていた。ソレイユが本気を出せば勝ち目はないが、手加減のおかげで好勝負になっている。
「あー、やられたー」
返球に追いつけず、瑞穂が嘆息する。ソレイユは息一つ上がっていない。
「ここまで粘れれば大したものよ」
そばでは守が壁に目を輝かせていた。
「ソレイユ、この部屋の壁ってどういう仕組み?」
「ここはロボットの運動性能テスト用なの。衝撃緩和材が張ってあるから、ぶつかってもダメージが出にくいの」
「へえ、すごい」
「守、感心するのはそこ!?」と瑞穂が憤慨する。
「だって、この壁ならお姉ちゃんがぶつかっても痛くないでしょ」
「相変わらず、かわいくない!」
ドアが開き、玲子が顔をのぞかせた。
「今、休憩中?」
「あっ、来た! 話は終わったの?」
「ええ。ほら、おいで」
ドアの陰から、手を引かれたマルスが現れる。
「玲子、その子が話してたアンドロイド?」
「そう。マルス。こちらは親友の河合瑞穂と、弟の守くん」
「マルスと言います。よろしくお願いします」
促されて、マルスは丁寧に頭を下げた。
「私は河合瑞穂」
「ぼくは河合守。マルスって、かっこいい名前だね」
「ふーん、私は“かわいい”と思う。玲子が名付けたの?」
「違うわ。テスト用の名前。ねえ守くん、どうして“かっこいい”の?」
「マルスってローマ神話の戦いの神さまでしょ。第七艦隊の艦名は神さま由来が多いんだ。それで覚えた」
「物知りね」
「それに、知恵の神ミネルバと戦いの神マーズがテストロボット名に使われてるから、欠番になってる型もあるんだって」
(ずいぶん安直な名付けだな)と玲子は思ったが、顔には出さない。そもそも玲子に預けること自体がイレギュラーなのだ。
「玲子、さっきの話ってマルスのこと?」
「ええ。テスト後も一緒にいていいって」
「よかったじゃない。つまり、玲子に弟ができるんだ」
瑞穂はしゃがみ、マルスの頭を撫でた。
「かわいいなあ。ねえ玲子、守と交換しない?」
守がむっとしてつぶやく。
「ぼくはお姉ちゃんを交換したいな・・・」
「何ですって?」と瑞穂が凄む。
守は笑って、マルスに目配せする。
「ほら、マルス。君のお姉ちゃんの方がやさしいよ」
マルスは玲子にぴたりと寄り添って、
「ぼくはお姉ちゃんがいい」
瑞穂の頬がゆるむ。
「へえ、“お姉ちゃん”って呼んでるのか。ねえ、私のこともお姉ちゃんって」
「いや、お姉ちゃんはお姉ちゃんだけだよ」
意外にも、きっぱり拒絶。
玲子は笑って取りなす。
「じゃあ“瑞穂お姉ちゃん”は? それならいいでしょ」
「いいわ。それでどう?」
「うん、瑞穂お姉ちゃん」
今度はマルスも素直にうなずいた。
「ところで、ソレイユとの勝負は?」
「また負けた」
「お姉ちゃんがソレイユに勝てるわけないじゃん」と守。
「分かってないね。ソレイユは相手のレベルに合わせてくれるの。私が負けたのは、私がその期待に届いてないってことよ」
ソレイユは笑って肩をすくめる。
「そうね。もう少し粘ると思ってた」
守はそれにも感心して、
「へえ、それもすごい」
瑞穂がぎろりと睨む。
「今の“すごい”は、私じゃなくてソレイユに向いてない?」
「うん、そう」
「相変わらず、かわいくないやつ」
丁々発止のやりとりを、玲子は微笑ましく眺めていた。――おとなしいマルスには、きっと真似できない。少しだけ、羨ましく思いながら。
