マルスの長い出撃があることは、玲子は薄々感じていた。マルスが急に玲子にべったりと甘え始めたからである。出撃が近くなると、マルスは急に甘えるようになることを玲子は知っていた。玲子は何も聞いていなかったが、マルスは何かを察しているのだろう。
そう、考えていた矢先、夕方にサムが訪ねてきた。マルスはトリオと一緒に買い出しに行って、その場にはいなかった。ロビーだけが静かに玲子の傍らに立っている。サムにお茶を出しながら、玲子はテーブルに着き、サムの言葉を待つ。
「マルスはお出かけかい?」
サムは開口一番に聞いてくる。
「夕ご飯の買い出しに行ったわ。トリオと一緒に。今日は二人で何か作ってくれるんですって」
「そうか、なんだかな、家庭用機能を持ってないから問題だって言われていたのが、嘘のようだな。バリバリ家の仕事をしてるじゃないか」
「そうね、二人して作ってるのをみると、かわいいの」
「そうか・・・」
玲子の表情から笑みが消える。
「何か、察しているような顔だね」とサムが言った。
「何もないのに、ノーマをつれずにサムが来るわけないでしょ」
「それもそうだな」と、納得したようにサムがつぶやく。
「明日からマルスを第7艦隊に連れて行く。プロメテウスも一緒だ」
「そう。第7艦隊はラルゴシティ沖にいるのよね」
「そうだ」
「しばらくは帰ってこないのね」
「そうだな。短くて1週間。長ければ1ヶ月かな。相手の出方次第なので、そのあたりははっきり決められない」
その話で玲子は理解できた。
「迎撃作戦なのね」
「そうだ」
アルトシティへの遠征の時といい、プレストシティが襲撃された時といい、軍はタイミング良くマルスを待機させておく。何もかも、わかっているのだろう。
「今日はマルスを、いっぱいかわいがるわ」
「そうしてくれ。出撃中はおれが面倒を見る」
「うん」
しばらくの沈黙のあと、サムがぼそりと言った。
「マルスが軍に使われるのは嫌じゃないのか」
ロビーはその言葉に反応し、玲子を見る。
「私はマルスがしたいことをさせたいの。私はマルスがしたいことをささえるだけよ」
「そうか・・・」
サムが胸ポケットから、小さなロケットを取り出す。
「母さんみたいなことを言うな」
玲子は小さなロケットをみて、一言、
「これは?」と聞いた。
「ベスの遺髪が入っている。母さんから預かったものだ」
テロリストに殺されたサムの妹、ベスのことは玲子も話を聞いて知っている。
「俺がプレスト海軍に復帰したとき、母さんからこれを受け取った。母さんは俺のなすべきことをなせと言った。ベスとともに」
「おばさんらしいわ」
「母親だからな、俺を心配していることはわかっている。それでも俺がしようとすることを妨げたりしない。そういう母親なんだ」
玲子は一呼吸して言った。
「私も、マルスにはそばにいてほしい。それが本音よ。でも、マルスにはなすべきことがある。それは理解している。マルスが生まれた理由でもあるわよね。だから私はマルスのしたいことをさせたいの」
サムは少し笑みを浮かべ、
「ありがとう。マルスを粗末にするような作戦には使わない。それは約束する」
「わかったわ」
玄関からマルスとトリオが荷物を提げて帰ってきた。
「ただいま」とマルスとトリオが元気にキッチンに入ってくる。
「お帰りなさい、マルス、トリオ」と玲子は迎えた。
「おかえり、マルス、トリオ」とサムも言った。
「いらっしゃい、サム」とマルスが言うと、真顔になる。
「今から出撃なの?」
マルスは不安そうに聞く。
「いや、明日からだ。今夜は玲子と一緒にいるといいよ」
「そう」とマルスは安心したようだ。
サムは立ち上がり、
「さて、俺は帰るよ。皆の邪魔すると悪いからな。明日、10時にマルスを迎えに来る」
「わかったわ」と玲子は返事をしながら、サムを送るために立ち上がる。
玄関でサムは改めて玲子に言った。
「マルスのことはすまないと思う。だが、マルスはエース級のロボットなのでね。ここぞという作戦には不可欠なんだ」
「わかってるわ。私のことは気にしないで。トリオもいてくれるし」
「じゃあ、明日」と言って、サムは去った。
気を取り直したマルスが言った。
「今日は魚のムニエルだよ。ロビーに教わるの」
「私が教えるから、私と一緒に作らない」と玲子が言うと、マルスはあっさりと、
「いいよ」と言った。ロビーは何も言わず、そっと、バックアップの体制に入る。ロボット同士なら、データリンクが使えるので、マルスの行動の細かなサポートはロビーの方が効率がいい。とはいえ、マルスとトリオと一緒に食事の支度をするのも玲子にとって楽しい時間である。そのことをロビーも理解していた。
トリオは付け合わせの野菜を調理していた。玲子は魚の切り身を焼いているマルスを見ながら、ロビーに聞く。
「おじさんとおばさんの帰りが遅いわね」
「海軍の派遣準備で忙しいようです。もうまもなくお帰りです」とロビーは答えた。
玲子の胸がチクッと痛くなる。
「おばさんだけじゃなくて、おじさんも忙しいなんて、今度の出撃ってそんなに規模が大きいのかしら」
「そういうことでしょうね」とロビーは言った。
おばの上原は軍の嘱託なので軍の作戦に関わるのはわかる。しかし、おじの敷島は軍の嘱託ではない。出撃前のロボットの整備などで敷島も多忙なのだろうか。玲子もそれ以上聞かなかった。マルスが派遣されることが、どれほど重要で大規模な作戦なのか理解しているからだ。
「お姉ちゃん、野菜の準備はできたよ」とトリオが言った。ロビーはトリオから鍋を受け取り、3つの皿に野菜を盛り付ける。この作業は体格のあるロビーのほうが上手い。
「マルス、もうそろそろいいわ。魚を盛り付けましょう」と玲子がいうと、マルスは素直にフライパンを玲子に任せる。玲子はフライパンを手に、魚を皿に盛り付けた。後はおじとおばを待つだけだ。
「マルス、トリオ、上手にできたよ」と玲子は言った。マルスとトリオは笑顔で答える。
少し待つと、敷島と上原が帰ってきた。
「おお、いい香りだ」と敷島が言う。
「急いで着替えてくるね。ゆっくりいただきましょう」と上原が足早に、自室に向かう。敷島も自室に向かった。
マルスとトリオが作ったムニエルと野菜はよくできていた。敷島も上原も料理の出来映えを讃える。玲子もよくできていると思う。マルスが家事機能がないと言われて、解体を議論されたことなど、全く馬鹿げたものだ。マルス一人ではできないまでも、ロビーやトリオと一緒なら、楽しく料理ができている。玲子もこの時間がとても好きだ。
「マルスも料理が上手にできてるわね」と上原が言った。彼女にしても、マルスがこれほど家事手伝いができるというのは予想外だった。戦闘能力の向上のため、やむなく家事機能を削ったが、それほど致命的なものにはならなかったことに安堵していた。
